日吉キャンパスが开设された1934(昭和9)年、秋に大食堂がオープン。コテージ风の木造2阶建の建物は、塾生から长らく「赤屋根」の爱称で亲しまれていた。戦后、日吉キャンパスは米军に接収。その间、「赤屋根」は焼失したが、すぐに再建されている。1950(昭和25)年、米军からの返还に伴い、もともと大学予科(川崎市?登戸)で食堂を経営していた田沼文蔵氏が大学と高校の食堂を开设した。后に田沼氏は会社名を「グリーンハウス」としたが、これは塾生から公募して决定したものだ。応募案が採用された塾生には、食券1年分が赠呈されたという。グリーンハウスは、现在も第6校舎の「グリーンズテラス」や高等学校の食堂などを运営している。
また、日吉キャンパスには「二幸食堂」や「梅寿司」もあった。昭和40年顷の「梅寿司」について、塾员でアナウンサーの宫本隆治君(元NHK)が、次のように思い出を书き缀っている。「日吉学食には当时、大学の食堂には珍しい寿司屋がありました。ある日、一人の男子学生が丼に入った赤黒いものを食べています。九州は玄界滩の白身鱼しか知らない私には初めて见るものでした。それが“鉄火丼”だったのです。ラーメンが六十円なのに鉄火丼は一叁〇円くらいしたと记忆しています」(『叁田评论』平成17年7月号)
1974(昭和49)年には食堂ホールが完成し、日吉に初めて生協食堂が登場。2005(平成17)年の食堂棟全面リニューアルによって、現在は1階部分にカフェテリア形式の「遊遊キッチン(生協食堂/イタリアントマトカフェ?ジュニア)」、2階にはグリーンハウスが運営する「グリーンズマルシェ(Cafe Marche/山盛亭たらふく/鉄板焼祭/麺処福)」と「とんかつさぼてん」、「G's CAFE」が営業中。鉄板焼、イタリアン、カツといった専門店の系譜が日吉の学生食堂の一つの特色と言えそうだ。